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ご指摘のように、AIの開発者(すくなくとも一部の私も含めた基礎科学の開発者)には、「未来的な可能性」としてAIを擬人化している態度があります。それらの開発者は、人間という不可思議なるものを正しく知りたいという強烈な欲求で動いております。AIを「擬人化」というより、むしろAIを「シン人化(真とか新とか重なった感じ)」しているような感覚です。
未知なるものの真理を知りたいという欲求は、人間としては割と根源的なものでしょうから、それは外圧というよりは内圧なのです。そして、過去から現在までのAIブームの先端を牽引してきた開発者は、このような連中ではないかと推察しています。私もその一人です。
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シン人は、AIの未来、あるいは未来までの道のりを想定しています。人を出来る限り忠実に再現した、あるいは再現しようとするAIのことです。どのような複雑なシステムであっても作ることができれば理解できるのではないかという期待があります。
つまり「真人」は、人の真実に近いという意味での「真」です。かと言って、それは人ではなく、あくまでもAIはAIです。その意味での「新人」であり、真の真ではない。
宗教関係者に怒られるかもしれませんが、新しい人というのは「神」なのかもしれません。すみません。こじつけです。
ということで、「真」と「新」は重なってはいますが、ずれています。そのずれているところが新しい拡がりを与えていて、「偽」と異なります。
*とあるSLACKから一部改変して転載
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