2018年10月29日月曜日

川端康成考

ここのところ川端康成を読みふけったので、感想文をいくつか。アマゾンレビューからの転載です。

『山の音』
レビュータイトル:中年壮年老年にお勧めの傑作文学

信吾に何度叫びかけたことか。
「おい信吾っ!」「しっかりしろ!」「そうじゃないだろ!」「そっちかーい!」と。

ある場面などでは、
「行くんかーーーい!」と
飛び上がってしまったことを告白する。

要するに作者の意図にがっつりと嵌められた次第である。

この小説、主人公の信吾に尽きる。
彼の老年期の固まった信念があらゆる登場人物との微妙なズレを生み出す。
しかし、そのズレが登場人物のキャラを絶妙に際立たせる。
文体はたんたんとしている。まるで俳句。行間が極めて大きい。
相変わらずの川端節である。

ただこの小説を心の底から面白いと言えるには、
そこそこの人生経験が必要かもしれない。
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『舞姫』
レビュータイトル:ノリノリの三島由紀夫

相変わらずの川端節だ。湖水の表層だけをすくっているだけなのに、水底に横たわる核心が見え隠れする。しかも核心があるのかないのか安定させないまま読者を引きずり回す。そして最後に舞姫波子の恋人である竹原が放つ「名義はね、」というセリフで、湖全体を凝結させるのである。巧みな小説技工である。解説の三島由紀夫のいうところの「隔靴掻痒のリアリズム」だ。

川端と三島は特別な間柄にあった。「舞姫」の解説は、その三島が担当している。この解説が特筆ものである。どちからというとロジカルな文章がおおい三島がずいぶんエキサイトしている。舞姫波子の夫である竹原に対して『卑怯な平和主義者、臆病な非戦論者、逃避的な古典愛好者、云々、まさにゾッとするような男である。』と、最大限の罵倒である。よほど気に入らなかったのであろう。さらに川端の美観について『川端氏にとっての永遠の美とは何か。私が次のようにいうと、我田引水と笑われるに決まっているが、おそらくそれは美少年的なものであろう』というハシャギぶりである。なんとも可愛らしく、ストレートでカッコいい男子である。本体とともに、解説も必読の書として推薦する。
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『掌の小説』
レビュータイトル:ノーベル賞受賞作家の心が結晶化
2018年9月11日

地底深くで黒鉛がダイアモンドに結晶化していくように
誰もが心に煌めく美の結晶を沈ませているに違いない。

しかしその隠れた美の結晶を「はいどうぞ、はいどうぞ」と
とり出すことのできるのは選ばれし芸術家だけであろう。

本作品集には、そんな結晶の数々が惜しげもなく並んでいる。
超短い小説。結晶の凝縮度は半端なく、最後の一文の衝撃も激しい。

百人おれば百人の好みが分かれるだろうが、
なかでも僕は「海」が大好きである。

混沌とした時代だからこそ読んでほしい作品である。
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『美しい日本の私』
レビュータイトル:超ハイレベルなスピーチ原稿
2018年8月27日

驚きだらけである。

まず、聴衆の知的レベルに敬意を評しているのか、いささかの手加減もない。妖艶、幽玄、余情、虚空、仏界、魔界などなど、日本人ですら理解できるかどうか分からない単語に遠慮がない。研究者としてプレスリリース原稿を書いている身としては考えさせられる。

さらに、自身の作品へのノーベル賞受賞記念講演の原稿であることを考えると、作品への言及が極めて限られているのも見事である。日本古代からの歴史の枠組みを紹介し、日本文学への理解を促すことで、川端文学への道筋としている。構成が壮大なのだ。

予稿からあえて修正の入った「美しい日本の私」というタイトルも示唆に富む。

スティーブ・ジョブズに代表されるような米国風プレゼンに染まり切り、
それがベストだと思い込んでいる御仁には是非読んでいただきたい1冊である。
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『古都』
レビュータイトル:ただただ美しい古都
2018年8月21日

人生望外の喜び。「文学」という単語は、このような小説のために用意されていたように思えるほど。
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『雪国』
レビュータイトル:文学史上最高傑作のひとつ
2018年8月2日

読むべきである。

生きてる間に読みべき小説をいくつか挙げなさいと言われれば、これである。文章ひとつひとつに俳句のような拡がりがあり、たんたんと描いているにも関わらず人間の心の奥底まで入り込んで掻き乱す。著者の知性によって文字列が芸術に昇華させられた瞬間を目撃することができる。読んだ後、人生観が変わるかもしれない文学の最高傑作。