2019年2月28日木曜日

脳は作って使えばわかる(実装主義)

先日投稿した記事【脳は作ればわかる】の続きです。

先日の記事では、『LSI(大規模半導体集積回路)が、これまでの神経科学の手法では理解できないだろう』という批判に対して、「作ればわかる」という主張をしました。

この主張には、大事な続きがあります。

これまでの神経科学の主要な流れは、神経細胞を見ることにありました。形態を見たり、活動を見たりの、データ観測(実験)です。これに対して、近年別の潮流として「作る」が重要視されています。いわゆるモデル研究(理論)です。「見る」と「作る」のキャッチボールがなされたときに、神経科学は大いに進むことに違いありません。

でも、まだ不足しているポイントがあります。それは「使う」という概念です。

例えば、LSIを完全に復元できたとしても、実際に使って見なければ、その機能や性能はわかりません。LSI上で動いているOSやアプリを復元する必要がありますし、なによりも、そこに何が入力され、何が出力されるのかを再現しないといけません。つまりハードウェア上を流れる「情報」を再現する必要があるのです。

脳は孤独なハードウェアではありません。常に環境から感覚情報が入力されており、独特な主観的世界を作り出し、身体を通じて運動としての出力を行い、さらにその出力は感覚情報に影響を与えています。これまで心理学が取り扱ってきたような、情報の中身までを、現実に即した形で再現する必要があるのです。

昨年発表した論文では、「作る」だけではなく「使う」をかなり意識しました。
「Illusory Motion Reproduced by Deep Neural Networks Trained for Prediction」

この論文では人工的に作り上げたモデル脳に、実際にヒトが見るであろう「景色」を入力しています(下の動画参照:First-Person Social Interactions Datasetからの引用)。頭の上にカメラを付けて、ただただディズニーランドをうろうろ歩いて撮った動画ですが、これこそがヒトの脳にとって自然に近い入力情報となります。



その上で、ネットワークが作り出すアウトプットと、ヒトが実際に経験している「知覚体験」と一致するかどうかを検証します。この論文では「錯視」を使いました。あくまでもヒトがリファレンスです。

もちろんまだまだ穴だらけの研究です。本当に現実に即した情報のやりとりを再現するには、やるべきことが山積みです。それでも、この先「見る」「作る」「使う」の三位一体がなされていくなら、神経科学は飛躍的に発展すると信じています。

公共事業でいうところの「箱モノ」を考えていただければよいかとおもいます。どれだけ立派な建物を建てたところで、使わなければ意味がありません。コンサートホールの価値は、そこで何が演奏されるかにかかっているのです

2019年2月5日火曜日

夢野久作の「ドグラ・マグラ」を学んだ深層学習ネットワークが自由気ままに文章を書いてみた

 熟知しおるらしき事は、この私の中に同時に、同時に大の大切の大切の天室に八しているのである。トトハハのでしまったのです。その大切の少女の手には、その少女の大切の手に入わしているのでは、新見しているのでした。それは後の光りの大切の君の上に入わしているのではないか。

 さ……そうして、それと向いになっているのであろうところは、その中に、その実験の大学の大きなのは、その実験の大学の大学の私は、その方へ取っているというのだ。そのその中に、その中に同じのであった。その一度の大きなが、同時に、大きないというになって、その方になっているところになっているのであろう。もとの位置に突立っているのだ。

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 その直は、その言葉をしているのである。その訳が、その精神科学的の研究の精神病者に、有を見ていたので、そんなのこの実験の大きで、それから、その『名指の女の大切の拠に、御見たようで、それはもって右の方から、黄金色の輤犯罪の夢の心理遺伝の又は、この実験の心理遺伝の方が、その実験の又、この細胞の脳髄の又、この時にこの時にこの実験のこの科学の方が又、方がないのであろうところであるが、この事があらぬ結果が、これはこの実験の大学の夢の中にして、この少女の私の方がなくなるのであろうというとこの疑うにも又、又もなく学絞が手を過ぎないのだ。

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Written by AI

2019年2月4日月曜日

富士山の錯視(月の錯視考)

日吉から見た富士山
上の写真は慶応大学日吉キャンパスからの富士山です。山影から白頭がひょっこりと顔をだしています。

写真を撮ってみて「あれれ?」となりました。目に映っていた富士山はもっと巨大だったからです。視野と写真の画角はそれほど変わらないのに、実際に見える富士山と写真の富士山のサイズは印象がずいぶん違います。ここでは「富士山の錯視」と呼ぶことにしましょう。

水平線上にあるものが大きく見える錯視で有名なのは「月の錯視」です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Moon_illusion
天頂にある月と水平線上にある月では、ずいぶんサイズが異なります。太陽でも同じことが体験できます。

「月の錯視」が起こる原因には諸説があります。が、「富士山の錯視」のように、水平線上の遠くにあるものであれば何でも大きく知覚される錯視とすれば、「月の錯視」も、その恩恵を受けているはずです。そうなると、これらの現象は「水平線上遠方にある物体が相対的に大きくみえる錯視」と汎化できます。

水平線上には比較できる対象物が近いところから遠いところまで連続してあるため、奥行きが推定しやすくなっています。そのため、水平方向へは遠くにあるもへ「ズーム」を効かせやすくなっているのかもしれません。

「富士山の錯視」は夕刻になっても変化しませんでした。夕日に浮かび上がる富士山はまるで影絵のような美しさでしたが、サイズ感はそのままだったのです。なかなかシブトイ錯視です。富士山は見える範囲が非常に広大です。ぜひお試しくださいませ。