2019年1月31日木曜日

脳は作ればわかる(実装主義)

この記事
https://rmaruy.hatenablog.com/entry/2019/01/29/225106
とてもよく議論されてます。

ただ、
一点足りないのは【作ればわかる】という観点です。

この記事の『LSI(Large Scale Integration、大規模半導体集積回路)が、これまでの神経科学的方法では理解できないだろう』は至極真っ当な意見です。LSIを顕微鏡で観察してもLSIの動作原理は理解しがたいことでしょうし、LSIに電極を刺して電気特性を観察したとしても、理解への道筋が困難を極まるのは容易に想像できます。

この意見に対しての反論として「作ればわかる」を推しておきます。LSIがどれだけ複雑怪奇な代物であったとしても作ることができれば理解したことになります。これまで神経科学が「作る」という手法を主流にしてこなかっただけです。時代はかわりました。「作る」という方法論を従来の観察に加えることで、「見る」と「作る」の間で相互循環が始まっています。

最近おもうのですが、これまで多くの脳科学を研究する者に欠けていたのは「当事者意識」のような気がします。自分たち自身が観察対象になっているという事実です。人間とは面白いもので、今目の前で観察対象としている脳と、観察している自分の脳を切り離して考えることができます。脳を本気で知ろうとするとき、この安全装置が邪魔になります。いまのいままで「作る」を妨害していたのは、技術的問題だけではありません。

ディズニーランドは極めて精巧に世界が閉じています。入場者はディズニーランドにいるあいだ外界と遮断され、ディズニーランドが奏でる物語に浸りきって暮らすことができます。だからこそ楽しいのです。人は皆それぞれの物語を大切にしているディズニーランドの住人といえます。科学者といえど人間です。自分の大切な物語に傷をつけようとする行為には、どのような理屈をつけてでも反抗します(僕はディズニーランド効果と呼んでいます)。

本来、科学者というものは、ディズニーランドの外にいて「そこはディズニーランドですよー!」と呼びかける無粋な人たちです。科学者は人間が作り上げたディズニーランドが偽物の世界であることに気づいてしまった人たちです。

科学者は真実の世界を知るために施設の外に出てしまったのです。そこには共通のルールも倫理すらもないのでとても孤独な世界です。でも、その代償として無限の自由を手に入れることができます。なんの足かせもない世界で、ディズニーランドでは気が付くことのできない真実を発見することができます。だからこそ、科学が突き付ける真実はいつも無粋です。

しかしそうは言っても、科学者も人の子。大なり小なりディズニーランドの住人を脱することはできていません。時には、ディズニーランド効果という言葉にピンとこない可能性すらあります。

川端康成がノーベル賞受賞記念講演で一休和尚の言葉として引用した「仏界入り易く、魔界入り難し」。仏の道に入り、仮に仏の教えを知ったところで悟りきれない、その先にはさらに正体不明の闇である魔界が待つとされています(本来の魔界の意味とは異なります)。真の文学者はそこまで踏み込んでいかねばならない、すべての世界を描ききることを文学の使命とした川端の重い言葉であり、川端文学の神髄を現しています。魔界とは、ディズニーランドの外の世界のことかもしれません。

はたと、一部の科学者がこの事実に気がつき、本気で脳を作り始めたとき、神経科学や脳科学は急激な進歩を始めるのかもしれません。


Yasunari Kawabata (Wikipedia)

この記事には続きがあります。

【脳は作って使えばわかる】
https://eijikiwako.blogspot.com/2019/02/blog-post_28.html

2019年1月7日月曜日

天才たちと人工知能

科学の歴史は、人類が自分自身を知る歴史です。誰かが何か発見をすると、知識がひとつ手に入ります。そのたびに人類に纏わりついていた幻想や妄想が消え去ります。時には、常識とはあまりにも違う知識を突き付けられ、社会に大きな動揺が走ることもあります。

天文学上最も重要な発見のひとつであるとされる「地動説」も、その一つです。説を提唱したコペルニクスは天文学者ですが、カトリックの司祭でもあります。宗教のど真ん中にいた人物からの提言に、なにやらクレイジーな凄みを覚えます。そのとき信じられていた既成概念に「NO」と言い切ったコペルニクスには畏敬の念しかありません。「自分たち中心」の世界観から「相対的な自分」への大転換は、多くのひとの人生観を揺さぶったことでしょう。いまや膨大なの天文データによって、宇宙の端から端までの地図が作られています。

物理学上最も重要な発見のひとつであるとされる「相対性原理」も、その一つです。アインシュタインの頭の中で熟成した驚異の仮説は神がかり的です。小さな矛盾を無視することなく突き詰め、ついには大きな常識を覆しました。時間や空間が均質で一定であるという常識は消え去り、人間は自分たちの住む世界が内包していた底抜けの深遠さを知ることになりました。その後台頭してきた量子力学も相まって人が抱く世界観は大きく揺さぶられます。それでも人類は逞しく、新しい発見を応用して社会を発展させてきました。

生物学上最も重要な発見のひとつであるとされる「DNA二重らせん」も、その一つでしょう。発見の過程がどれだけクレイジーなドロドロ劇だったとしても、その科学的価値に傷がつくことはありません。ワトソンとクリックが発表した美しい2ページの論文は科学史の金字塔です。生命の神秘さや不可思議さは消え去り、極めてシンプルで美しい定理に置き換えられました。ついに人類は、自分たち生命が何者であるかを知るに至ったのです。

もし、クレイジーな誰かが「ドラえもんのような汎用人工知能」を生みだしたとしたら。

それは人の常識をこれまで以上に大きく揺さぶることでしょう。しかし、それは自分たちが何者であるかを知る切っ掛けになるはずです。そのとき初めて人は等身大に生まれ変わるのかもしれません。

社会の枠組みに入りきらない天才たちの歴史的大発見は大きく社会を揺さぶってきました。しかし、結果的には、それらの知識はとても大切にされています。人類は転んでもただでは起きません。

真実は人を裏切りません。真実の価値は、人類にとって何よりも替えがたいのです。