2025年9月29日月曜日

錯視とは何か?

学生のリポートを読みながら「ああ、これは錯視というものが何なのかが上手く伝わっていないじゃないか」という思いに至った。錯視研究家の一員として、教育者の端くれとして、情けない限りである。

反省も込めて来年への備忘録も込めて、ここに自分なりの「錯視とは何か?」をまとめる。


一見は百聞にしかずである。まずは錯視の代表である北岡先生の「蛇の回転錯視」を鑑賞する。



静止画であるにも関わらず、グルグル回転して知覚される。これはもうエライことである。見た瞬間、まず「え!?なんでなんで!?」となる。錯視には、この「え!?なんでなんで!?」という感覚が必須条件である。


次はログビネンコ錯視(渡辺魔改造版)である。


何も知識のないひとにとって、この絵に不思議さはない。「白と黒のひし形が並んでいるだけじゃん」である。しかし、「ひし形はすべて同じ明るさで描かれている」と聞いた瞬間に「ウソでしょ!?」「何を言ってるのか分からないっす」という驚きの反応になる。つまり錯視には知識も必要である。先ほどの蛇の回転錯視では「本当は動いていない」という知識が必要である。

次は杉原先生の変身立体錯視である。



この錯視の場合、「ウソでしょ!?」「これは本当に鏡!?」という不思議さが先に来る。鏡に映っていることは写真からでも明白で、前提知識を与える必要がない。そのうえで「実はこの錯視は数学的に計算されて設計されたもので、表側と裏側では違う形に見えるのです」という説明がなされる。しかしその説明を聞いたところでそう簡単に理解できる代物ではなく、不思議さは根深い。


変身立体錯視と蛇の回転錯視を比較すると面白い。変身立体錯視は「なぜ形が変わるのか?」に対して明確な答えがある。それは設計図の数式である。しかし蛇の回転錯視が「なぜ動くのか?」という問いに対しては明確な答えはない。そこには設計図はないのだ。蛇の回転錯視の答えは、私たちの目や脳の情報処理に隠れている(イラストはGeminiで生成)。


変身立体錯視の凄さは答えがあるのにそれを不思議さが凌駕していることにある。知識としてはすべて丸見えの状態にある。「知識としてはすべて丸見え」の例としては、ちまたで人気のトリックアートがある。その場では、からくりが丸見えだけど、カメラに収めてみると不思議な写真が出来上がる。その場で体験した人にとってはからくりが丸見えなので最初から特段の不思議さはない。これが錯視とトリックアートの境目であろう(写真は愛知県蒲郡市のラグーナトリックアート美術館からの引用)。



つまり錯視には「タネが簡単にバレない不思議さ」も必要なのだ。タネは錯視側にあっても錯視を見ている人間側に隠れててもいい。タネが人間側に隠れている場合、その錯視は人間の特性を研究するための重要な材料となる。



なんだかんだと書きましたが、錯視は見た人が「え!?なんでなんで!?」と感じてくれるどうかが大事なポイントである。そしてその「
なんでなんで!?」がそう簡単にはわからない、それが錯視じゃないかな。

注)最後の錯視はTransformer Illusion, Blue-Gold Variant;「え!?なんでなんで!?」を引き起こすのは間違いが、杉原錯視を知っている方にとってはタネは簡単なので錯視とトリックアートの中間あたり。


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