自然のルールと人間のルールの決定的な違いを考察してください 特に情報という概念を加えてみましょう。 生命は情報をDNAで、人間は脳で記憶します。 記憶した結果、生命や人間には生活する世界のモデルができあがります。 自然にはそのような仕組みはないように思えます。 人間のルール、自然のルールという枠組みに、 これら情報と記憶とモデルという概念を組み込みましょう。
自然のルールと人間のルールの違いを「情報」「記憶」「モデル」という切り口から考察する
1. 自然のルールと人間のルール
まず「自然のルール(法則)」と「人間のルール(社会的規範など)」の違いを簡単に整理してみましょう。
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自然のルール
- 自然界で普遍的に成り立ち、いわば物理や化学、生物学といった学問によって「発見」されるもの。
- 例えば重力や電磁気力、熱力学の法則など、私たちが観測・実験を通じてその存在を明らかにしてきました。
- それらの法則は人間が認知しようとしまいと、客観的・外在的に成立していると考えられるものです。
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人間のルール
- 社会や文化を維持するために人間が「作り出し」、相互に合意して運用しているもの。
- 法律・道徳・倫理・慣習などは、いずれも人間が自分たちの行動・思考を秩序づけるために設定しています。
- 科学的な法則と違い、集団によって変化することが多く、客観的というよりは合意的・恣意的な側面をもちます。
このように、自然のルールは「人間が発見する」ものであり、人間のルールは「人間が発明・合意する」ものという大きな相違があります。
2. 情報と記憶が持つ役割
ここで重要になるのが「情報(information)」と「記憶(memory)」の概念です。
生命や人間はそれぞれ、何らかの形で情報を保持し、それを活用しながら行動を組み立てていきます。
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生命がDNAで情報を保持する
- 生物は遺伝情報をDNAとして保持し、世代を超えて伝達します。
- このDNA情報は環境との相互作用の結果、自然選択によって変化・蓄積し、多様な形質・行動様式が現れます。
- 生物の遺伝子プール全体をみると、自然環境への適応の歴史的記録が「情報」として刻まれているといえます。
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人間が脳で情報を保持し、学習・モデル化を行う
- 人間の場合、DNAに加えて、脳という器官が大量の情報を学習し、記憶として蓄えます。
- 外界を観察し、自分が行動した結果を認識し、脳内に世界や社会の「モデル」を作り上げる。
- このモデルは言語や概念を用いて他者にも共有され、さらに精緻化されていきます。
- より高次の社会的文脈では、法律や道徳といった「合意されたモデル(ルール)」として可視化されるわけです。
3. 自然は情報や記憶をどのように扱っているのか
「自然にはDNAや脳に相当する仕組みがないように見える」という指摘がありますが、次のような見方も考えられます。
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自然そのものが「情報を持つか」の問い
自然界そのものは「法則」として外在し、人間が認識してもしなくても存在しているように見えます。しかし、自然界にあるエネルギーの保存や物理的構造も、一種の「情報のあり方」と捉える見解があります。- たとえば、粒子同士の相互作用やエネルギーの伝搬などは、物理学的に見れば情報処理や計算に近い側面を示す、という議論があります(量子コンピューティングの発想や、物理学を計算理論で捉える動きなど)。
- ただし、「情報をどこかに蓄積して判断を下す」という形ではなく、法則に則った因果関係として淡々と展開されている点が、人間の記憶・判断とは大きく異なります。
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生命システムを通じて自然が情報を“循環”させている
進化論的視点を採用すると、生物は自然環境に適応する過程でDNA情報に変化をため込みます。それは生命系を介した“自然の情報記録”とも見なせます。- 自然そのものが意図をもって情報を蓄えているわけではありませんが、結果的に生物の遺伝子プールとして「環境との相互作用の歴史」が蓄積される。
- この蓄積こそが生物多様性の源泉となり、地球上の生態系が常に変化・発展する原動力にもなっています。
4. 人間のモデルと自然のルールの関係
人間は脳によって世界観や社会観を「モデル化」します。これに対し自然は、私たちが観測・測定できる(あるいはできない)かたちで存在し、その背後には変わらない法則(自然のルール)があると考えられています。この関係を整理すると次のようになります。
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自然のルールは人間の知的モデルの基盤
- 科学理論は自然現象をモデル化したものですが、対象である「自然の法則」は人間の都合や意識に依存せず独立して存在すると考えられます。
- つまり、私たちが作る物理学・化学・生物学の理論モデルは「自然のルール」を映し出そうとする試みです。
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人間の社会的ルールは脳と集団の相互作用の産物
- 社会的なルール(法律、道徳、制度など)は、個々人の脳内モデルが集団で共有され、議論や権力関係などによって調整される形で成立します。
- 社会規範や文化は、世代を超えるなかで制度化されていき、書き換え可能な動的ルールとして機能します。
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自然には“書き換え”という概念がない
- 自然の法則自体は人間のモデルのように書き換えられるものではなく、観測や実験の精度が上がると“いままで知られていなかった側面”が解明されていくにすぎません。
- 法則それ自体は常に一定ですが、人間の理解(モデル)は更新されるという構造になっています。
5. 汎化した視点:秩序の生成メカニズム
自然のルールと人間のルールの決定的な違いを「情報・記憶・モデル」という3つのキーワードからまとめると、以下のようになるでしょう。
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自然のルール
- 最初から存在しているかのように見える“外在的秩序”。
- 自然法則は「原因→結果」の因果的連鎖として現れ、それ自体が「こうあれ」という意思決定をしない。
- 情報や記憶を「意識的に蓄積する場」はないが、生命システムを通じて“歴史的情報”が結果的に蓄積される面がある。
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人間のルール
- 人間が脳の学習・記憶機能を活用し、世界のモデル化を行うことで「創発」・「構築」される社会的秩序。
- ルールを設定し改変する主体的な行為がある。人類史を通じて、合意や権力関係によってルールが随時見直されてきた。
- 人間同士で共有される“情報”が基盤となり、文化的・歴史的に蓄積され発展していく。
これらを比較すると、「人間の意図・意思決定」が介在するかどうか、あるいは「書き換え可能性」があるかどうかが大きな分岐点であるとわかります。
6. まとめ
- 自然のルールは、人間が認識するかどうかにかかわらず独立して存在する“客観的・外在的”なものとして捉えられます。一見すると自然そのものは情報や記憶を扱っていないように思えますが、長い時間軸で見れば、生命システムがその変化を“情報”としてDNAに蓄積しているという捉え方も可能です。
- 人間のルールは、脳の情報処理能力を基盤とし、社会全体で合意を形成しながら書き換え可能な“合意的・文化的”な側面をもつルールです。そこには意図があり、意思決定や権力の要素も大きく働きます。
結局、自然のルールは“存在”としての客観性があり、人間のルールは“合意”としての主観的集団性が強いという点が決定的に異なります。そしてその背景には、「どのように情報を保持し、記憶し、世界をモデル化するか」という仕組みの違いがあると言えます。DNAによる生物進化と脳による社会進化、この2つが交わりながら今日の世界が構築されているのです。
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