2026年7月20日月曜日

ハードプロブレムとしての意識と主観、存在と納得そして世界モデルと確率

意識とか主観なるものは自分にしか認識できないものでありハードプロブレムである。

間違いない。

どのように言葉を駆使しても論理的に覆すことは不可能な問題である。

間違いない。

そこでこう考える。

「納得できるか、納得できないか」


あなたの隣りにいる人の意識とか主観を疑うことはない。

「納得」しているからである。

その根拠になっているのは「存在」である。

「理論」よりも「存在」は重いのだ。

相対性理論はわからなくても、原子爆弾や原子力発電の存在はとても重い。

具体的にそこに存在しているから誰も疑わない。


意識や主観もそう考える。

意識や主観をAIがもったかどうかは誰にもわからない。

しかし万人が「存在を納得」すればそれがゴールであろう。


生物が進化したなどという直接的な証拠はない。

しかし多様性ある生物の存在そのものが人を納得させる。

DNAがその裏打ちになる。

それがハードプロブレムのゴールである。


今風に言い換えてみる。

わたしたちの脳は世界モデルである。

世界を体験して記憶して「モデル」となる。

世界モデルだ。


世界モデルは確率で世界を捉えている。

動いている確率、赤である確率など。

その世界モデルはあなたの隣人の意識や主観の存在も確率で判断している。

論理ではない。確率だ。

確率が高くなれば「納得」となって昇華される。

確率の便利なところは「論理的に無理」な領域にまで答えをだせるところ。


わたしたちの世界モデルが納得すれば、それがゴールになる所以である。



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