2019年3月7日木曜日

寺山修司考

私のソウルメイト(と勝手に思っている)寺山修司氏の命日(5月3日)が近づいてきたので、錬金術師寺山の言葉の中でも特に私が暗記しているものを、勝手ながら私見と共に羅列しておこうと思う。備忘録を兼ねて。

しっかし寺山はマジで暗い。しかも粘調性がある。
「だから青森は…」という語句を、後ろの点々を含めて寺山と名付けたい。
いや、後ろの点々だけで良い、あれは寺山にそっくりだ。
寺山はいつも真っ暗地獄の真ん中でじっと座っている。
彼が闇の中でただ座す様は、さながら冥界の泰山府君のようだ。

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1. 全く、最低に汚ねえ…
(映画「勝手にしやがれ」ラスト)
*はいでた、語句の後ろの寺山。「汚ねえ」の前に「最低に」という最低な形容詞をぶっこんで来る辺りに、奴の性格の悪さが滲み出ていて草生える。

2. どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。
(ロンググッドバイ)
*私は飛ぶ手段が極端に少ない人間である、と自ら公言してはばからないその姿に、胸がすくような思いがする。

3.人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。
(さらば箱舟)
*寺山はこの言い回しが大好物。きっとどこかの飲み屋でペロッとしゃべったこの言葉に自ら勝手にツボッたのだろう。自分が死体って発想が寺山の真骨頂。この暗さこそ寺山。そうでなくちゃ寺山の名が廃る。個人的には「懐かしのわが家」に出てくるもうひとつの方が好き。「ぼくは不完全な死体として生まれ、何十年かかかって完全な死体となるのである」。彼は満足な死体になることができたのか。血反吐吐きまくったせいで血だらけだった布団は、きっと花びら舞い散る石棺のようだっただろう。私も、最期に晒す自らの姿が最低に汚ねえ死体、って結末だけはごめんだ。



4. 少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだと思った。hungry young menは angry young menになれないと知ったのである。そのかわり私は詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。
(ポケットに名言を)
*うまい、山田くん座布団2枚あげて。くらいの名言。私事で恐縮だが、私はこれまでこの言葉にどれだけ救われてきたか分からん。いつか殺す、ぶん殴る、と思うくらい誰かを憎んでも、いかんせん生来の物理的ポテンシャルの低さだけはどうにもならんので。詩人は言葉のプロフェッショナルだから、言葉を駆使して人を殺めることもできるはずだ。それがどうにも羨ましく、魅力的だと思っていた。ちなみに、人の胸の中を言葉でぐさりとやるっていうのは何もリアルに殺すと言っているのではない。自分が嫌いな人間は、往々にして相手もまた自分のことが嫌いである。つまり自分が嫌っている人間=自分の存在を疎ましく思っているであろう人間の心の中に、自分という存在を消えない傷として残す、ということを意味している。これこそ超タチの悪い嫌がらせ。さすがキングオブ陰険寺山修司。

他にも暗記している言葉はあるけど、あまり一気に書きすぎると、人の心に余計なドロドロを残してしまうので、また今度気が向いた時に。

Written by KS